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2013
04.30

カナイラインの星

Category: 星月夜の鎌倉
カナイラインについて、別の見方があった。
http://kamekokishi.web.fc2.com/stella/kanai.html

星図からみると、時代は平安初期。
出雲大社に繋がる祭りのラインと考えることができる。
ヒミコの頃にはカナイラインは必要がなかった。
それが星図から読み取れる。iPadのアプリ「天文学3d」 を使った。
平安時代のカナイラインでは、ラインの先に見るのは、オリオンの三ツ星ではない。

それをどう書いたらいいのか、逡巡してしまう。
話すのではなく、書き残したい。どうしたらいいか、わからない。






http://kamekokishi.web.fc2.com/index.html 鎌倉、まぼろしの風景
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2013
04.22

星が導く池子の里

Category: 星月夜の鎌倉
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横浜市金沢区に京浜急行の六浦駅がある。
その鉄路は60度の向きに走っている。
六浦駅の次が神武寺駅。
ここの駅の前に池子神明社があって、逗子市池子の鎮守様だ。
以前は須賀神社といって、スサノオを祭る神社であった。
今も近隣の沢山の神様を合祀して、池子の中心になっている。
ところで六浦(むつうら)は、ムツラと呼ばれていた。
吾妻鏡でも謡曲「六浦」でも、読み方はムツラである。
ムツラと言えば六連星。むつらぼし。すばる星の事だ。
すばるとは、地上を治める王であった。
王は六人いたと、考えてみよう。
六人の代表者達からなる合議制をやっていた、と私は考える。
六人の王が集まってプレアデス星団のすばる星である。
参照:207.六所神社のすばる星

さて、すばる星は寅の方角から昇る。北東のだいたい60度である。
六浦がすばる星なら、この港を寅の方向に見る村があったと想像する。
「すばるが昇ってくる方向にある港」だから、ムツラの港なのだ。
六浦の中心地がどこかはわからないので、六浦川の河口から60度の線を引く。
あるいは侍従川の河口から60度の線を引いてみた。二つの線は平行に並んで、逗子市池子の里に着く。
「ああ、六浦って、池子の里に着くための港だったんだ」と、思った。
武蔵国の六浦と相模国の鎌倉をむすぶ池子の里であるから。

六浦港から池子まで2km、池子から十二所(じゅうにそ)まで2km、そこから1kmで杉本寺。
天平六年(734)創建と伝わる鎌倉最古の寺である。

地図のない時代に、「すばる星」と言う名の港に着く。
ここがすばるなら、村は南西だと、星を知る人々はすぐにわかるだろう。
池子について鎌倉の杉本寺はどこかと道を聞く。
「すばる星の沈む方へ」と戌(いぬ)の方を示される。
北西のすばる星の沈む方に、杉本寺はあった。

なるほど、星を知る事は、国土の広さを知る事でもあると、思った。



+亀子++++++++++++++++
鎌倉、まぼろしの風景
http://kamekokishi.web.fc2.com/index.html
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2013
04.02

東慶寺の景観とすばる星

Category: 星月夜の鎌倉





<table cellspacing="0" cellpadding="0" width="100%" style="padding-bottom:20px;padding-top:10px;">
<tr>
<td style="line-height:1;text-align:left;padding-bottom:0px;">
<h3 style="margin-top:0;margin-bottom:0;margin-right:0;margin-left:0;padding-top:0;padding-bottom:0;padding-right:0;padding-left:0;color:#262626;font-weight:bold;font-size:11px;">From Evernote:</h3>
</td>
</tr>
<tr>
<td style="line-height:1.3;text-align:left;padding-top:0px;padding-bottom:7px;border-bottom-width:1px;border-bottom-style:solid;border-bottom-color:#b5b5b5;font-size:11px;">
<h1 style="margin-top:0;margin-bottom:0;margin-right:0;margin-left:0;padding-bottom:0;padding-right:0;padding-left:0;color:#262626;font-weight:bold;padding-top:5px;font-size:18px;">東慶寺の景観とすばる星</h1>

</td>
</tr>
</table>

JR横須賀線の北鎌倉駅から徒歩3分、臨済宗円覚寺派の松岡山東慶総持禅寺は創建1285年の古刹です。
県道から東慶寺の門を通ってすぐ右に、風流な門があります。お屋敷は取り壊されて、門だけが残っています。その敷石に6個の丸い石が使われています。


この石の並び方をどう「見る」でしょうか。

これは南斗六星でしょうか。それともすばる星でしょうか。


長い東慶寺の歴史の中で、どちらの星座であっても美しい物語りができそうです。

でも。東慶寺から見れば、南は山が迫っています。

高度30度にも昇らない南斗六星は、ほんの1時間くらいしか見ることができないのではないかと想像します。

だからこれを中国の星座で昴宿、すばる星(プレアデス星団)と見立ててみました。



すばる星は北東から昇って来て、天頂近くまで上がって見えます。そこから北西の空に沈んで見えるまで、悠々と空を渡って行く様に見えます。冬の星座の牡牛座の一部になっています。

東慶寺の門に描かれたすばる星をどの様に眺めたらいいでしょう。

やはり南中した時、でしょうか。

すばる星が真南に来て、天頂近く一番高く上がった時に定めます。

その時の星空を東慶寺から眺めてみました。

時代は1285年にして、iPadのアプリの「星座盤」を眺めます。







見晴らしの良い南東の先にシリウスが低く昇り始めています。

太陽に次いで全天で一番輝いている星は日本でも天狼星と呼ばれる星です。

天の川は南東から北西へ、天頂を通って立ち上がって見えます。

東慶寺の門前を通る県道21号線は南東から北西へと一直線に通っています。

それは明月院から流れ出る川の向きと揃います。

そして天の川が地表に着くあたりに、鶴岡八幡宮の山があります。

その先には大倉の鎌倉幕府跡があります。

東側ですから、すべての星は昇って見えます。昇り龍、の様です。





skitchによる加工



東慶寺の正面は北の空が見えます。北より約30度のあたりに、六国見山の山頂があります。

すばる星が南中する時に、その山頂に北斗七星があって、左周りに星は昇って行きます。









北西は東慶寺からは見えません。県道に立てば、後の玉縄城の東側、今は栄光学園になっている山が見えたでしょう。東慶寺の松ヶ岡文庫に昇れば、滝の様に雪崩落ちる天の川が見えたと想像します。

天の川の下を流れる小袋谷川は、まっすぐに流れて柏尾川と合流します。

そこが天の川の落ちる場所になるのです。

左手から白鳥座の北十字星が降りて来て、織姫星(ベガ)と一緒に沈んで行く様に見えます。

すばる星が南中する頃には、栄光学園の修道院に大きな十字架が立つでしょう。

元寇と十字架は、そんなに縁遠い物ではなかったようです。

skitchによる作図



東慶寺の門前にすばる星を置く。そんな風流な庭師さんが居た、ステキです。

なるほど鎌倉は「星月夜の鎌倉」と言われるだけの事はある、と思います。

星の姿さえ景観に取り入れた町の設計を見ると、鎌倉の町の隅々までが「遺跡」であることを思い出します。

旧道は遺跡です。山の姿も遺跡です。景観も遺跡だったのに。

住宅や高層建築で、その景観が消えてしまったのは残念ですが、鎌倉にプラネタリウムがあれば、こんな風景も再現できるのだろうと思います。

星月夜の鎌倉に、プラネタリウム、できないかなあ。









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