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2013
07.24

星を祀る神社

Category: 星月夜の鎌倉
日本には星にまつわる伝承が少ないという。星を祀る神社も少ないと聞いた。
でも、調べていくと、神社の多くは星を見る位置にある。
伝承は隠されているらしい。

巨石の上に星が渡ってくるのを見る。そういう設計があると、各地の直線道で証明しようとしている。遠くに岩があって、そこを目指して星がやってくる。
その巨岩の、最も大きいものが、富士山だ。
富士の上に星が輝く。

新しく見つけた170度の線を富士山からひく。
山梨県笛吹市に当たる。
甲斐国分寺跡から見るとちょっとずれる。近くの神社でも、まだずれる。
線上に乗ったのは牛飼神社だった。
これは七夕の彦星の神社だ。
祭神はニニギノミコト。アマテラスの孫のニニギが高千穂に降り立つと、川に張り出すように棚作りにした八尋殿で機織りをしているコノハナサクヤ姫に出会う。
棚の上で機織りだからタナバタ姫。
京都の鴨川に、河原に張り出した席を設けるお茶屋があるけど、あれもタナ。
土地の人は、御祭神は男棚機(おたなばた)と言うのだそうだ。
木花咲耶姫の夫が瓊瓊杵尊だから、男棚機。
コノハナサクヤとニニギが織姫、彦星だったなんて、始めて聞いた。
私は知らないことが多すぎる。
コノハナサクヤが富士山の女神だということは知っている。

牛飼神社から見ると、富士山の上からカノープスが上がる。
南極老人星が昇ってくる。七福神の寿老人だ。
じゃあ七夕の織姫星ベガと彦星アルタイルには関係がないかというと、
ちょうど180度地球の裏の位置に織姫星ベガが居る。
もちろんそれを古代の人は知っていた。
12時間たてばベガが富士山のはるか上空に乗ってくることを。
あるいは季節が過ぎて空が変わることを知っている。
だから、12月の深夜にカノープスが富士山の上に乗っているなら、
6月の深夜にベガが富士山の上空にくることも。
それは星空と共に暮らすことができた時代には、誰もが知っていた知識なのだろう。
現代の私たちは学校で習う。それは生活に関係がないので、多くの人は忘れてしまう。だから、神社が星の向きに建てられていることなど、気づかない。

地図に線を引いて、ここに何かがあると、線上を探すと。
地域で大切にされた神社に出会う。
廃絶寸前の小さな御社もある。
ここに灯明をあげることが必要だった時代の最後の痕跡を見ることができる。



+亀子++++++++++++++++
鎌倉、まぼろしの風景
http://kamekokishi.web.fc2.com/index.html
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2013
07.11

秋谷にもあった地上の北斗

Category: 星月夜の鎌倉
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龍学を書いているHunters Logさんの三浦半島を巡るツイートを読んだ。
立石についての疑問が出されていた。神奈川県横須賀市秋谷に立石公園がある。景勝地だ。
「立石と言う信仰が何であるのか。漁民出会ったこの地の人が立石をどう見たのか。」
若い頃によく車で通った立石地区。同じ疑問を私も持っていた。なぜここの岩が特別なのか。
iPadの地図で立石にピンを立て、縮尺を変えると真西が小田原の早川漁港だった。
やはり漁民のランドマークだ。
南西の天王線に伊豆半島の最南端がきれいに乗った。
立石から見て、伊豆の端に天王星が来ると織姫星が南中する。
すなわちこれがスサノオの祭りであるという仮説の例がまた一つ増えた。嬉しい。
Hunters Logさんの視線が重要な場所を逃さないのだ。龍神に褒められるのも当然だ。

横須賀市芦名の十二天社の向きについて気になる記述があった。
参道と神社の向きが合わないという。地図で見ると本殿の向きは140度だ。
江戸時代の彦星線143度を残しているのだろうと思った。
一方、秋谷神明社は見事に参道が天王線だった。それも奈良時代の。
その秋谷神社の西に北斗七星の形に流れる川を見つけた。おおっ!
Googleの地図は地形図にもなる。川は平地を目指して谷間を北東から流れて来る。
そしてわざわざ標高の高い方へ(!)登る様に迂回して、平地へ戻って来る。
不自然な川筋だ。きっと深く川を掘って、水を溜めたのではないか。人工的な川筋だ。
ストリートビューで川筋を見た。やはりすごい傾斜地だ。斜面を削る様に川が山に迫っている。
そしてマンション建設中。ああ。
この川が北斗の形になってるなんて、もう誰も言わないのかな。
鎌倉の小袋谷川や梅田川みたいに伝承が残ってないのだろうか。
でも川が作るヒシャクの部分には手つかずの森があった。
鎌倉よりも大事にされているのかも知れない。
この北斗は真南から見る。その近くに秋谷郵便局があった。秋谷1丁目だ。
地域の中心地だ。1丁目3番に天王線と彦星線が交差する見事な辻があった。
岡の頂上で二つの直線道が坂道になって下っている。星を待つ道だ。
ここだけではない。秋谷1丁目の道に、同じ角度の道が沢山ある。
道がなんとなく五角形を作っている様に見えるのだ。鎌倉の古道と同じだ。
218.逗子市沼間の地上の北斗http://kamekokishi.web.fc2.com/stella/numama.html
で書いた沼間の例と同じ場所があった。それが秋谷だった。
歴史の深い秋谷の秘密が少し見えた気がした。
地上の北斗を描くのは、星を見る場所を指定する為だ。川の南である。
そして見る時間も指定される。北斗が南中したとき。川の形と同じに揃う時だ。
それは何の為か。織姫星を迎える時だ。出雲八重垣が出来上がる瞬間だ。
この時、織姫星は51度の方向にある。
ぜひ「218.逗子市沼間の地上の北斗」の図をご覧いただきたい。
秋谷ではその向きに山の頂上が連なっていた。
おそらくこれらの山頂に織姫星が上がっているのだろう。
そして多分、現地では山の端に近すぎて見えないだろうと思うのだけれど、
地図上では、51度の先に大楠山の山頂があった。ビンゴ!

大楠山とは三浦半島最高峰の241mだ。古代もランドマークだっただろうけど
今も電波塔があり展望台がある。
地図に星を見る向きの線を引く。思わぬ所に当たって驚く。
そういう事が繰り返しあると、驚かなくなる。
やっぱりね、から、当たり前だ、になる。
それほどに星を見る意匠が凝らしてある場所なのだ。ここは。鎌倉は。
鎌倉の文化圏は。東国、もしかして九州も。
星月夜の鎌倉と歌われた地域であると改めて思った。
だからやっぱり鎌倉にはプラネタリウムが必要だ。
奈良時代の星空を見てみたいと思う。

付け足しに。秋谷郵便局から真南に線を引くと芦名1丁目の直線道に当たる。
真南に向って山を登る直線道は山頂まで続き秋谷の町が見えた。
川も見えたかも知れない。


+亀子++++++++++++++++
鎌倉、まぼろしの風景
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2013
07.03

七夕の織姫星を巡る妄想散歩

Category: 星月夜の鎌倉
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1)織姫星の南中を祭るために道が作られる。この仮説が固まって来た。
南東に展望がある所は彦星線、153度。南西に展望がある所は天王線、220度。
この向きに道が作られている。鎌倉や横浜、藤沢や逗子、葉山に。いくつでも発見できる。
その最たるものが三輪三山だ。耳成山、天の香具山、畝傍山は、彦星線と天王線でできている。
それは700年から800年頃、奈良時代の星空を元に作られた方角だ。
現代では角度の数値が小さくなるから、彦星や天王星がこの向きに来た時には、織姫の南中は終わっている。事前なら祭りの開始を告げるきっかけにもなるだろうが、終わってしまった時を知らせても意味が無い。だからこの道は奈良時代にこそ最も意味があったはずだ。

2)逗子市池子の星が谷の直線道は153度。彦星線に気付いたきっかけとなる道だ。
この彦星線は南北の線でひっくり返すと、鎌倉市の中央を縦断する若宮大路の傾きになる。
この若宮大路の道の傾きを再現するのに分度器は必要ない。長方形を作って対角線を取れば良いのだ。
おそらく頼朝が若宮大路を整備した時にも、このような折り紙で傾きを再現しただろうと確信する。

3)天王線を再現するのにも、折り紙が使えた。そこで気付く。この秘密の角度を表す折り紙の形は、伊勢、志摩の海女が身につけると言う呪術のお守りと同じ図案だ、ということに。
セーマン・ドーマンの事だ。陰陽師の芦屋道満の名をつけられたドーマンは修験道や密教の九字護身法と呼ばれて民間に広まったそうだ。星形のセーマンは五芒星で、世界的にも呪術として使う形だ。でもドーマンは洗練されてないダサい形だと思っていた。とんでもない。彦星線も天王線もここから始まるのだ。

4)ではドーマンで示された角度を使うとセーマンの五芒星が出来るのだろうか。やってみた。できるのだ。では、七芒星はどうか。七ツのとんがりのある星形は円周360度を7で割って作られる。でも割り切れないから歪みが出る。だからネットでは「書く事の出来ない図案」だと語られている。それは大きな間違いだ。分度器が無い時代に、七芒星は正確に描かれただろう。7人がロープを持って円になれば出来る形だ。

5)七芒星は折り紙で作ることができた。三つのとんがりをもつ鏃の形をドーマンで作って、それを3枚重ねると七芒星だ。美しい。この三枚のヤジリ形を見て、思い出す図がある。オモダカの葉の形であり、澤瀉(おもだか)の家紋だ。三枚の葉を並べた家紋。三枚のオモダカの葉。それで七芒星が出来るとは思わなかった。これは大変な事を知った、と思った。

6)オモダカは沼や川に生える。川ならば「天の川」を映す川だろう。池や沼は、織姫星の南中を知らせる甕、井戸、泉に代えられるだろう。どちらにしても「星月夜の鎌倉」にふさわしい植物の様な気がしてきた。花は白い花びらが3つ。これも呪術的。
オモダカの古語は生藺、なまい、だそうだ。生とは落しめた言い方で「藺草(イグサ)にならない」という意味だそうだ。イグサとオモダカはまったく違う。比べる方が無理。ナマイという音が先にあって漢字を無理に当てたのだろう。ナマイとは、旧約聖書に出そうな語感だ。そう言うと北鎌倉の夢草さんは「真名井に似ている」と言った。天の真名井に。

7)名勝「天の橋立」の近くに真名井神社がある。元伊勢とも言うそうだ。第十代崇神天皇の時に創建。とにかく古い遥拝地で磐座がある。地中に埋まった石碑に六芒星が付いていて、それがユダヤの星にそっくりだったから「日ユ同祖論」で取り上げられて有名になった。マナとは触ってはいけない聖なるもの、聖井戸という意味らしい。

8)グーグルの翻訳で言語不明のまま日本語訳を試みた。
namai ナマイ ーー> リトアニア語で「ホーム」
manai マナイ ーー> リトアニア語で「あなたは思いますか」
            ラトビア語で「私の」
amano manai 天の真名井 と書いたら、mano namai ですか?と聞かれた。
mano namai ーー> リトアニア語で「私の家」

9)リトアニア語とかラトビア語とは。全く縁がないよなあ、、と思って検索すると、「バルト語派」という言葉を知った。リトアニア語とラトビア語などが入るのだそうだ。
「現在使われているヨーロッパ語の中で古い特徴を最もよく残していると言われる。」「スラヴ語派と最も近い関係にある。」これは面白くなって来た。古い言語とはマナイ神社に匹敵する古さだろうか。
ではスラヴ語派とは?「かつて単一民族としてのスラブ人に話されていた『スラヴ祖語』が存在したと想定される。」「スラヴ語派とバルト語派は少なくとも289個の単語を共有している。分かれたのは紀元前1000年頃。」
「バルト=スラヴ祖語はゲルマン語派の中でイディッシュ語に影響を与えている。」「中央アジアやモンゴル語が影響を受けている。」だそうだ。

10)遠いリトアニアの言葉に古代言語の影が残っているのだろうか。「中央アジアやモンゴル語」なら、日本に来ていた単語もあるだろうと思った。イディッシュ語とは、世界中に散らばったユダヤ人が話す言葉だそうだ。だから「旧約聖書に出そうな語感だ」と思ったのは当たらずとも遠からず、かな。
ドーマンを使えば五芒星や七芒星が描ける。それで星を見る道を設計することができる。分度器の代わりになるということは、それで地図が描ける。砂漠や海を渡ることができる。家族が別れて、新しい故郷を作りに旅立つ。そんな時に、行くにも帰るにも必要な技術だったのだろうと夢想する。
とにかくオモダカは、しょぼい水草なんかじゃなくて、ナマイという名で3つ重なれば七芒星だ。つまり星のかけらが泉に生えるのだ。なんとまあロマンチック。



+亀子++++++++++++++++
鎌倉、まぼろしの風景
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