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2011
12.20

福島市と大船は似ている。

北東から南西へ川が流れている時、川の北側に都市あるいは館があって、川を越えてその真南にピラミッド型の山がある。その山には菅原道真が産まれる前からあった天神が祀られている。
というのが私の仮説だ。それは中国の泰山と黄河と、夏の天の川銀河で作る都市計画デザインだ、と、思う。鎌倉では玉縄の谷戸が池と、天神山だ。
HP「鎌倉、まぼろしの風景」の「82.柏尾川(天平の大船幻想)」
http://homepage.mac.com/kamekokishi/kashiogawa.html

北東から南西へという川は都市に普通に見つけられる。鎌倉市大船の柏尾川だけではない。
例えば福島市の阿武隈川だ。
福島市の弁天山公園を、南の泰山として阿武隈川の北に800年代の館があると、考える。
阿武隈川を中心に同じ距離を南側に置いてみた。
それは福島市の市役所あたりだ。

HP「夷蝦・陸奥・歌枕」という膨大なデータを蓄積している研究者の方と知り合って、
この事を聞いてみた。不躾な私の質問に、先生は親切にも答えてくださった。
そのメールを今日読んで、感動している。

> 「福島県中通り最古の腰浜廃寺跡の件。福島市教育委員会による「福島市の歴史」によると、創建は飛鳥時代後半の建物で8世紀後半から9世紀末まで栄えた。」

やっぱりあった。それも700-800年代だ。
グーグルアースで、福島市役所上空6mに立って、ビルの無い地形を眺めてみた。
西側に平らな山が連なっていた。まるで「多摩の横山」みたいだ。
それは鎌倉市の台山と同じ風景だ。台山はちょっとミニチュアだけど。

真西に台山が低く平らに見えるのはどこか。
地形図「大船」で調べると、それはセイシク橋の旧大船支所のあった所だ。
真南は台峰のピーク93m。真北は亀の子山の山頂30m。
とても意図的なデザインだ。
とすると、セイシク橋の南にあったのは、平安時代の館跡だと思っていたけれど、
天平時代からの屋敷跡かもしれないと思った。
染屋時忠が、鎌倉市と横浜市栄区に住んでいた頃だ。

山頂を平らに加工するのは縄文人の仕事だと思う。
千年の時間をかけて加工する事ができた時代だ。
星が西の空に沈んで行くのを、平らな山頂を水平線の様に使って見ている。
その意味は、まだわからないけれど。

セイシク橋を流れる小袋谷川は、南東から北西へと流れている。
柏尾川とは違う。中国の泰山から見る冬の天の川に一致する。
夏の七夕の天の川ではない。
冬に天神地祇を祀るのは、王になる人の戴冠式なのだそうだ。
大船から台にかけての盆地には、王様が居たのかもしれないと、思った。



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