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2012
01.01

田の字の中にあるクルス

今日は午後二時からTVで歌舞伎があった。隅田川と、源平布引滝 だった。
田という字は口の中に十という字が入っている。
TVの画面に出た田という文字は、活字の田とは違った文字だった。
真ん中の十という文字の横棒が短いのだ。それで口の、両脇についていない。
横棒の両脇が空いている。ハッとした。

図象として、その田という文字を眺めていた人が、江戸時代にいたのだと思った。
田という漢字をこの様に書く人と、書かない人がいた、としたら。
それは何をアピールしただろう。
江戸時代の文字は現代人には読みにくい。だから活字に起こして資料にしてくれると、
読みやすくて助かる。でも、それでは、漢字をどう書いたかは残らないのだ。
田の字の横棒が短いのか、長いのか。活字資料では抜け落ちてしまう情報だ。
こんなに、見た目のイメージが変わるのに。

書、という美術品の分野がある。美しい文字を鑑賞するのだと思っていた。
有名人の手紙だったら、本人が書いたという価値がつく。
でも、それだけではない。
この人は田という文字をこの様に書く人だった、という様な、
個人の好みも表していたのだ。と思った。
書かれた文字をみれば、文章の内容に関係なく、伝わる別の事がある。

それを掛け軸にして茶室に飾る。見る人はドキッとする。
でも、それを語る事はできない。田の横棒が短かったら、なぜドキッとするのか。
それを語る事はできない。ただ、いい書ですねと言うばかりだ。
いや、私はどうも好かない。と言って忌避する人もいるかもしれない。
キリシタンの禁教時代に、そう言う会話があったと想像する事は楽しい。

最近、老舗の看板や酒瓶に書かれた酒の名前など、江戸時代の文字を眺める。
甘なっとうと書かれた甘と言う字に、太いクルスがあったり、
米と言う字が縦長だったり。
茶と言う文字はまるっきりキリストの十字架図だ。
山の上の遠景に小さい十字架が二つ見える。中央には大きな十字架。
キリストは二人の罪人とともに十字架にかけられたから。
そのキリストの十字架の足元に、二人のマリアが膝まづいている。
そう、見える様に、書ける。活字になると消えてしまう情報だ。

江戸時代の庶民はとてもしたたかで強い、と思う。
数万人が殺されたという弾圧時代に、ハナを明かすような娯楽を創り上げた。
その事をもっと見つめて見たいと思う。










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