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2013
02.05

2013年2月5日

Category: 未分類

<table cellspacing="0" cellpadding="0" width="100%" style="padding-bottom:20px;padding-top:10px;">
<tr>
<td style="line-height:1;text-align:left;padding-bottom:0px;">
<h3 style="margin-top:0;margin-bottom:0;margin-right:0;margin-left:0;padding-top:0;padding-bottom:0;padding-right:0;padding-left:0;color:#262626;font-weight:bold;font-size:11px;">From Evernote:</h3>
</td>
</tr>
<tr>
<td style="line-height:1.3;text-align:left;padding-top:0px;padding-bottom:7px;border-bottom-width:1px;border-bottom-style:solid;border-bottom-color:#b5b5b5;font-size:11px;">
<h1 style="margin-top:0;margin-bottom:0;margin-right:0;margin-left:0;padding-bottom:0;padding-right:0;padding-left:0;color:#262626;font-weight:bold;padding-top:5px;font-size:18px;">2013年2月5日</h1>

</td>
</tr>
</table>


星の向きを盆地に見る。あちこちの盆地にスケールを当てて見る。
面白い。
高遠の地図を見て、山頂に前方後円墳の形があるのに気づいた。
そこが五郎山。仁科五郎の墓があった。初名は武田晴清というそうだ。
武田信玄の5男だそうだ。
織田信長の武田攻めで、高遠城を守って討死。
古くから地域の人達が守ってきた古墳に彼を合葬した、と言うことだろう。
参道は円墳の山頂から1600年代のデネブの方角へ、60度。
前方後円墳の向きは、円墳に立って「前方」の方向を向くと、北斗七星の向き。
もちろんデネブも北斗も、ベガが南中した時の方位だ。
ベガが頭上に来ている時の。

武田信玄の娘、菊姫。甲斐御前。阿菊御料人。1563-1604
京都伏見邸で41歳で死ぬまで過す。
歌舞伎「本朝二十四孝」のヒロイン八重垣姫のモデル。
米沢初代藩主の上杉景勝の正室。
上杉景勝は、米沢にキリシタンは居ない、と言ってキリシタン詮索を拒否した人。
景勝は、父、長尾政景。母、長尾為景の娘。養父、上杉謙信。1556-1623

武田信玄の3女、真理姫。真竜院。1550-1647
木曽氏19代の木曽義昌の正室。
木曽義昌は、織田信長の嫡男、織田信忠に味方して仁科五郎と戦う。
義昌は徳川家康から下総阿知戸(千葉県旭市網戸)を賜り、ここで死去。

武田信玄の5女、松姫。信松尼。
織田信忠の正室。信忠は本能寺の時に自刃。松姫は22才で尼になる。
大久保長安が八王子に姫の草庵を作り援助する。
八王子千人同心の心の支え。
家康の息子、後の会津藩主、保科正之の養母。

この辺りの人脈が面白すぎる。
松尾芭蕉が木曾義仲を慕うのは、この辺に本当の理由があるのではないか。
八王子千人同心は武田遺臣の組織だ。絹や甲府の産物を江戸に運ぶ商人でもある。
彼らの中から新編武蔵国風土記稿や新編相模国風土記稿を編纂する原胤敦が出てくる。
ここから津久井の記事に話がつながった。
バラバラな疑問が、ある時、スイっと一つに紡ぎ出されて、はっきりした一筋になる。
面白すぎて寝られない。


3:53

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