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2013
02.13

佐野川の童謡と柳田邦男

新編相模国風土記稿の津久井郡を読み直す。相変わらず何度読んでも興味深い。佐野川の記述だ。
大正時代に柳田邦男が興味を持って、調査にやってきた。
それを相模湖の入り口にある正覚寺の和尚さんが、引き止める。
古老の誰もがそんな伝承はないと言う記述を、調べるのはお止めなさい、と。
私にも同じ経験がある。
二宮町の明星神社へ行こうとした時、タクシーさんが言った言葉が、そんな神社はないですよ、だった。
平塚市で護良親王の墓を探した時は、この辺りには見るものはないですよ、向こうの方へ行った方がいいですよ、だった。
鎌倉市の六国見山では、あんたの犬も毒饅頭を食わせられないように注意しなよ、だった。
住んでいる方々の協力が得られないなら、見に行かない方がいい。あるいは、こういう反応も貴重な体験として使うことだ。
私の二宮と平塚の経験は、歴史的な真実に基づく体験だった。
昭和の思想弾圧がいかに厳しいものであったかという、体験である。それが平成の今にまで、伝わっている。非国民と言われないように、住民の警戒心は解けていない。
神奈川県相模原市緑区佐野川のサノとは狭野であるという。相模のサは、狭野のサであるという。
武州と甲州と相州が接する三国峠から相模の国は広がっている。
そんな佐野川に石楯尾神社があることを知った。式内社である。
県内に7社、あるらしい。その数に入っていない本宮が三国峠の山頂にあって、佐野川の石楯尾神社は前宮だと言う。
その本宮へ、夜、三河の殿様が登って行った。
お恐れ多くも三河の殿様が、と、佐野川の伝承と言われるわらべ歌は唄う。

   お馬にも乗らず、お駕籠にも召さず

   夜中の頃にお山へ登った殿様は、

   ありゃあどこの殿様だ。

   お恐れ恐れ、泣く子も黙れ、

   三河国の殿様だ。

それは徳川家康か。池田輝政か。田中バルトロメオ吉政か。興味深いと思う。

津久井郡佐野川を調べて新編相模国風土記稿に纏めたのは千人同心の人達だ。八王子千人同心は、武田の遺臣達であるそうだ。その末裔が残したかった事が、甲州に接したここに残っているのではないか、と、思った。


http://kamekokishi.web.fc2.com/index.html  鎌倉、まぼろしの風景



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コメント
読んでくださってありがとうございます。
佐野川は魅力的すぎて、まだその魅力の中心にたどり着けません。
甲斐の国をもっと知れば、多分何かが掴めるかもと思っています。
それは山梨の方々がやることで、私の範疇ではないのですが。
お返事がたいそう遅れました。すみません。
亀子dot 2013.04.30 01:55 | 編集
とても魅力的な記事でした!!
また遊びに来ます!!
ありがとうございます。
初心者の株dot 2013.03.06 06:58 | 編集
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