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2013
08.20

阿蘇内牧温泉の星空

Category: 星月夜の鎌倉
阿蘇内牧温泉の星


熊本県阿蘇市と大分県竹田市は県境を接して隣り合わせになっている。ここにある知事様塔を調べていて、湯浦八幡宮を知った。湯浦八幡宮は別名男蜂神社と言うのだそうだ。平将門の乱を平定するために、この地に住んでいた男蜂が飛んで行ったという伝承がある。ここから南西にある西小園八幡宮は女蜂神社。水田を挟んで対岸にある二つの神社はペアになっている。

熊本県なのに平将門?それを言うなら純友の乱ではないの?
平良将門が死んだのは天慶3年(940)の2月。この年の10月に瀬戸内海の海賊、藤原純友は、大宰府を襲っている。
乱を平定しに出かけたのなら、大宰府の方ではないの?それとも純友と将門が同じ蜂起軍であると、語りたいのだろうか。
関東では将門を討ち取った藤原秀郷(田原藤太)を祭る神社がいくつかある。その縁起を読んでいくと、将門がいかに強大な敵であったかがわかるようになっている。つまり、将門を忘れないための神社なのだろう。表向きは藤原秀郷を讃えているけれど、将門を顕彰する場所でもあったらしいのだ。
そういう目でみると、湯原神社は純友軍に加わった人が住んでいた場所かもしれない。蜂、ハチ。八郎という勇者がここに住んでいたのかもしれないと思った。

西小園八幡宮(女蜂神社)と湯浦八幡宮(男蜂神社)のちょうど中間地点に西湯浦八幡宮があって、通称「七夕さん」という。旧暦の七夕にお祭りをするそうだ。勇者ハチの住まい(湯浦八幡宮)から見て297度の方角にある西湯浦八幡宮。七夕さんと言うのだから、織姫星が神社の上に上がるのではないかと思った。平安時代の星空を「天文学3D」というアプリで再現すると、織姫星は確かに297度の方角に巡って来る。高度は33度だから、低い。山の上に乗っかるように見えたかもしれない。
こればかりは湯浦八幡宮まで行って見なければわからない。今はGoogleマップという強力な地図があって、ストリートビューという風景写真が付いてくる。それで見ると風景の中で山の高さがどれほどであるのかがわかる。でも阿蘇市では、国道の周囲にしかストリートビューが付いていない。残念ながら、山の高さが30度を越えるのかは、行かないと分からないのだ。
織姫星は高度が低いけれど、その真上に白鳥座のデネブがあった。こちらは高度60度。高く輝く星は十分な目安になっただろう。天の川に羽を広げた「カササギの渡せる橋」、白鳥座のデネブの真下に織姫星がある。

通称「七夕さん」の神社の上に織姫星が見える時に、彦星はどこに見えるだろう。iPadのアプリでは、255度の方角に、これも高度が30度と低く、彦星が見えている。湯浦八幡宮から225度の線を引くと、予想どおり、線は西小園八幡宮(女蜂神社)の上を通ったのだ。やはり男蜂神社と女蜂神社はペアなのだった。男蜂から女蜂を見ることに意味があるのだ。そこに彦星が上がっている。

将門の乱を平定しに行った勇者は星を祀る人だったのだろう。湯原八幡宮の真北は845.mの押戸石山の山頂だった。昭文社の「山と高原地図56阿蘇・九重 由布岳」を見ると、山頂に赤い文字で説明があった。
「巨石群あり。シュメール文字がペトログラフとして残っている。」だって。

織姫星は北東から昇って天頂近くを通過して、北西に沈む様に見える。その長い航跡のうち、297度に来た織姫星を見る。その向きに西湯浦八幡宮を作って常夜灯をともすのはなぜだろう。
この時の星空をもう一度眺めて見た。天の川が東から西へ、北の空を横切っていた。特に真西に滝のように落ちる天の川は見事だった。そして真東にスバル星があった。真北には北斗七星が沈んでいた。

東にスバル。北に北斗。東西に天の川が横断する星空。
それはやはり特別な時、特別な瞬間の星空なのだろうと思った。
私は鎌倉市の地形で「織姫星が頭上に上がった時」という景観を探している。157度の方向に直線道があって、その先に巨石がある。その岩の上に彦星が上がると、織姫星が頭上に上がっている。それは700年代の星空を記憶した景観だ。
それとは別の星空が、ここにあった。天の川が東西に流れる時、スバル星が東にある星空だ。

湯浦八幡宮から北の低い空は見えない。東も見えない。高い山が迫っているからだ。展望は北西から南東に限られる。だから織姫星と白鳥座のデネブ、彦星が指標となっているのだろう。
特別な瞬間の星空を祀るという習慣があって、勇者ハチの一族が自分の家でこの祭りをした。それで三つの神社の配置が決まったのだ。

更に、決定的なことに気づいた。
天の川が東西に流れているというのに、地上を流れる湯浦川が東西に流れていない。
天の川を地面に移したように、北側の景観に東から西へと川が流れているはずなのだ。
地図上には湯浦川があったけれど、農業用水路の様で、東西に流れてはいない。
近世に流れの向きを変えられたのかもしれない。

天の川を地上に写したように流れる川があった。内牧温泉を流れる黒川である。
ウィキペディアによると、内牧温泉にはかつて内牧城があった。加藤清正の領地になった後に、
黒川の流れを南側に移して、北側に堀を、南に黒川を配置して城を護った、という。黒川が不自然に南にへこんでいるのは、人工的な加工の跡なのだ。
今、阿蘇市体育館が建っている東に、その堀の名残がある。その堀の形が、北斗七星の形だ。
それも、真北に沈んでいる時の北斗の形。天の川が東西に流れる時に、押戸石山の下に潜ってしまって見えるはずのない北斗の形だ。すごい!

加藤清正は熱心な法華宗の人だったそうだ。北斗信仰のある日蓮宗だからだろうか。北斗の形の堀は加藤清正がデザインしたもの、なのだろうか。

では。加藤清正以前に。黒川の流れが曲げられなかった時代に。
天の川が東西に流れる時に、黒川が東西に流れていて、天の川を写している、そんな美しい風景を眺めていた人がいたのだ。その人はどこに立っていただろう。
黒川を北の景観に見る、とすると、浜川の集落の北、阿蘇中学校の東、あたりだろうか。
そこに立てば、黒川が天の川と重なるだろう。
255度の方角に折戸の神社がある。(名前を知りたいけどわからない。)その上に彦星がある。
297度の方向に兜岩が見える(はずだ)。その上に織姫星がある。
直線道の向こうに巨岩があってその上に星が上がるという、私の仮説の一つの例が、熊本県阿蘇市の内牧にもあった。


http://kamekokishi.web.fc2.com/index.html 鎌倉、まぼろしの風景
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