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2016
01.18

景色はどこから見るか

Category: 未分類
鳥羽三女神を知って八禰宜山を知った。
http://kamekokishi.web.fc2.com/stella/259/259.html
ハネギ山から見ると北東から東にかけて夏の大三角形のデネブ、織姫星、彦星が上がってきた時に、湖面に星を写したように鳥羽三女神の灯明が見えただろうと思う。
星の三角と三女神の灯明の三角が同じ大きさに見えるのは、八禰宜山の山頂からの風景だ。そしてこの山頂からみると伊勢神宮内宮は真北にある。

さて。ここからが問題だ。
この事をイワクラ学会の方々に問うと、あっという間に返事がくる。私の様なハンパな者にも親切な、素晴らしい方々が活動中なのだ。
内宮の北には磐座があるという。磐座と内宮と八禰宜山の山頂は子午線上に揃うのだ。
これはすごい。人為的だ。

磐座から見れば内宮は南中した太陽の真下にある。アマテラスを祀るのにふさわしい設計だ。
ところが八禰宜山から見れば、北の空の北極星の下にある神社は子(ね)の神社か毘沙門堂に見えるだろう。今の北極星が天の北極になかった飛鳥時代には、天の北極を祀る目印として、どうしてもそこに(内宮の位置に)光る灯明が欲しいところだ。

もちろん、異論もあるだろう。どの神社も、南から見ると北の神社になるし、北から見れば南にある神社だ。でも、わざわざ山頂の北に神社があるのは、偶然ではないだろう。
磐座と山頂と、どちらが古いかと問えば、山頂ということになる。(山頂の位置を加工すれば別だけれど。)
山頂から北を見て、そこに夜も光る岩を置いた。あるいは、そこに元々あった岩を磐座に加工して、暗闇に沈む森を切り開き、星月夜に輝く岩の鏡面を目印にした。そう想像して見た。その後に、磐座と山頂との視線を遮るように内宮ができた。のではないか。磐座はやがて不要になり、土地の人達だけが祀る場所になる。
それを後に、おそらくは星神が復興した江戸時代に、鳥羽三女神というセットが、古い神社を組み合わせて作られて、「八禰宜山から見る」という秘密が語られたのではないか。と、思った。
江戸時代にお伊勢参りが大流行する。不思議だとずっと思ってきた。
平将門を公然と祀って江戸の守りとしてきた時代は、朝廷の力が最も弱かった時代だ。その時代にお伊勢参りが大流行する。
そのお伊勢参りは、猿田彦の二見浦であり、猿田彦の外宮であり、北辰の内宮であったのではと思う。
伊勢に居た猿田彦(猿どもの首領と貶められた星神を祀る王)は、八禰宜山を甘南備山として祀っていたのだろうと、想像してみた。

http://kamekokishi.web.fc2.com/index.html 鎌倉、まぼろしの風景
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