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2011
12.13

八雲神社の後藤義光(毎日の発見)

鎌倉、まぼろしの風景(ブログ)-__.JPG

昨日は京都に木賊山(とくさやま)という町を見つけて、謡曲の木賊を調べていた。
木賊山といえば、武田氏滅亡の地、甲府の天目山だ。
天目山の十字架を持った聖人の掛け軸を、鎌倉の建長寺で、ぜひ公開して欲しいなと思う。
今日は今日とて。北鎌倉の八雲神社で、こんな名前を知った。

安房国住
後藤利兵衛
橘義光(花押)
弘化三(年)
丙午九月吉日

1846年。鎌倉江の島詣でのブーム到来期。
鎌倉の台や山崎、市場、町屋に十文字鳥居が続々とできた頃だ。
後藤義光とは欄間の彫刻で有名な人だそうだ。知らなかった。
千葉県南房総市にある千倉町の朝夷(あさい)の人だそうだ。

明治まで生きた初代後藤義光の作品は京都にもあり、
群馬から神奈川県一帯にも広く残っているらしい。
ネットには研究者のHPがあって、勉強する事ができた。

ここ、八雲神社(祇園社)の作品は琴を弾く貴婦人と龍のデザインだ。
弁財天、と言う事になる。不思議だ。
祇園社の正面に弁天様を飾るのだろうか。
それとも、祇園社にあった摂社の弁天社の飾りを使った再建なんだろうか。

境内には観音があった証拠と見られる石碑が崖の草に埋れている。
観音堂もあったのだろうか。
境内にある清明石の隣には稲荷社がいまも祭られている。
稲荷、観音、弁天。
三人揃ったらマタラ神だ。
鎌倉の摩多羅神として、ずいぶん前に書いた事がある。
http://homepage.mac.com/kamekokishi/matara.html
かつては左から、稲荷、観音、弁天と並んでいたのだろうか。
配置は崩れたとしても、これを拝む場所としては、
籐源治のK鎌倉女子学園あたり、だろうと思う。
それは鎌倉時代に流行って、長く弾圧された宗教に、由来するのだろうか、
とも思った。

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